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3月に父方の祖母が亡くなった。
93歳の大往生で、数か月前から老衰による昏睡状態に陥り、最後は眠るように逝ったということだった。
随分と疎遠になっていたので、親からその顛末を聞き、苦しまずに逝ったという事はとても良かったな、と思った。
それはとても他人事のような感想だった。
祖母は相当強めに宗教にハマっていたので、小さい頃から両親は僕を祖母から遠ざけていた様に感じていた。
だから基本は新年に一度会うだけの存在だったし、家でも話題にしない感じが強かった。
子供心に、その話題はダブーだということを様々な場面で感じていた。
実際に僕が祖母と最後にあったのは、大学生の頃に親戚のお兄さんが結婚した時だったと思うから、もう既に20年弱くらい前の事だ。
そこから僕は大学院に進み、就職して一人暮らしをして、まあまあの時間が経つ。妹も結婚して子供もできたし、それなりに祝ったり祝われたりのチャンスは有ったと思うけれど、何一つ無く終わってしまった。
3月の寒く雨の少し降る日、僕は平日に仕事を休み、千葉の方まで向かった。
最後にそういうものに参加したのは、母方の祖母が十数年前に亡くなった時だった。
その時は僕もまだ20代だったし、思い返すと随分前の事のように感じる。
僕は親せきが非常に少なく、しかも基本は疎遠なので、こういった親せきが集合する場に参加するのも久しぶりの事だった。
そもそも母親は一人っ子だし、父親の家族は微妙な部分があって、毎年正月には必ず親族で集まってワイワイという一族ではなかった。
なので久々に会う親戚など、人見知りが爆発してなんとも気まずい思いをしてしまった。
ただそんな中でも、思う事はたくさん有ったし、久々に会ってみて得たものがたくさん有った。
僕はこの機会を無駄にしない様に、今後に活かそうと感じたことを書いてみる。
主に、葬儀や親戚との付き合い方についてだ。
1.思っていた以上に全体的な老人化、高齢化が進んでいた
祖母の葬儀は僕の父やその兄弟が中心となり進めていった。だが祖母が93歳ということは、自分の父もその兄弟も(僕にとっての伯父さん)すでに60代後半~70代であるということだ。父親は3兄弟の末っ子で、一番上の兄はずいぶん前からアルツハイマーにかかっており、葬儀に来ることもできなかった。(もうずっと寝たきりで、自分の母親が亡くなった事もわからない状態らしい)
となると、何かするにも人手不足になってしまい、様々な面で僕ら孫たちの世代がフォローしなくてはならない場面が出てくる。例えば入り口で待っていてきた人に連絡をする係だとか、何かを車から持ってくる手伝いだとか。
僕ら孫たちと言っても、大半がアラフォー、若くても30代手前くらいである。その世代が本当は中心になるべきなんだろうけど、祖母の事となると何をどうしていいか分からない事も多く、結局は雑用を手伝うに留まった。
言われたらすぐに動いたり、単純な雑用は自分から率先するなど、ただの参加者以上の役割があるという事を念頭に置いて、葬儀に参加する必要があると感じた。
2.高齢すぎると参列者が居ない
93歳となると祖母の友人たちははもうほとんどが他界している。参列したのは親族と、老人ホームの職員、昔から隣に住んでいる70代の女性一人だけだった。同世代は他界しているか、体調・体力的に参加することが難しいという方がほとんどのようだった。
無常ではあるが、高齢になる程に、これが現実なのだなと感じた。
3.老人ホームが取り仕切ってくれて非常にありがたかった
一般的にはお寺が取り仕切るのだろうけれど、今回はお坊さんを呼ばずに進めていった。祖母のガチな宗教傾倒っぷりから、うちの親族はお寺とか宗教に関する不信感やタブー感が強いからだろう。その代わり、葬儀から斎場まで一連の流れを老人ホームが取り仕切ってくれた。式の会場は老人ホーム内を使用し、進行のナレーションから生前の動画なども作ってくれたり、至れり尽くせりであった。
僕はこの流れが今後メインになるんじゃないのかなと思っている。
お寺のお坊さんを呼んで、お経を唱えてもらう。お金を払って戒名をもらって、四十九日でまたお寺に行ってというのは、スケジュール的にも金銭的にも体力的にもしんどいと感じる人は多いんじゃないだろうか。特に熱心なお寺や宗派を持っている人でなければ、老人ホームがほぼ全部を取り仕切ってくれるこのシステムは非常に合理的で僕は良いと思った。
4.知らない事実が出てくる
祖母は後妻であったため、先妻との間にも子供がいることは知っていた。つまり僕はほぼ会った事はないけれど、僕には親戚の叔父さんがもっとたくさんいた訳だ。しかし非常にデリケートな問題であったし、父親も話さなかったため、あまり知ることは無かった。
僕はこれまで、父親たち3兄弟の他に、先妻との間に子供が1人いると思っていた。(実際に昔会ったこともある)しかし今回知ったのは、先妻との間にも3人男兄弟がおり、父親は正確には6人兄弟の末っ子ということになるのだ。
人には人の人生が色々あるもんだなぁと感じた。
5.兄弟や親戚同士は仲がいい方がいい
父は母親が同じ3兄弟ずっと仲が良く、今回も(病床に伏している長男は除く)仲良く話していた。祖母の遺品から、子供の頃の写真や成績表などが出てきて、それを見て爺さんたちがワチャワチャしていたのは中々面白かった。
しかし僕自身は、親せき付き合いがほとんどなく、皆に合うのも20年弱ぶりだった。ちゃんと最後にあったのは、僕が大学の頃でそこから特に交流が無かったため、僕は人見知りもあって話題にも入らず一人ぽつんと座ってることが多かった。そんな雰囲気や状況が微妙な空気にさせてるんじゃないかと邪推したり、何とも居心地の悪さを感じてしまったのも事実だ。
余り合わないからこそ、親せき付き合いは大事なんだなと、いまさらになって気づいた。例えばもし、両親が急に亡くなったとして、僕は親戚の誰とも連絡を取る事ができない。何故なら電話番号も知らないし、誰がどこに住んでいるのかさえ、ほとんど知らないからだ。
これは結構由々しき事態だな、と強く感じた。
6.自分の親がそうなったときにどうするのか決めておくべきことがある
今回は祖母の葬儀だったけれど、確実に両親のそれが今後あるという思いを強く意識した。その時にどうすべきか、どのように動くのか、手配や親戚の連絡先、お寺やお墓はどこに入れるかなど、意思を尊重する方向で動くためにも今のうちに把握しておかなければと思った。
話題としては微妙だし気まずいし、改めて話す話題でもないのだけれど、でも一度ちゃんと話しておかなくてはいけない事なんだろうなぁと、思った。
7.軽く不謹慎な発見をする余裕があった
葬儀の後半になるほどに状況に慣れて来て、変な部分に気が向いてしまった。僕は人見知りが緩和されてきた頃、親族一同で斎場へ向かった。
斎場にいた女性は、結構な作業(お骨関係)をするのだけれど、かなり可愛い系の若い女性で驚いた。そして彼女の名札にはキャラクターのマスコットが付いていて「こういう職種でそれアリなんだ!」と心の中で突っ込んだり。
お骨を親せきのお兄さんと持ったとき、二人で目を合わせて「軽っ!!」と小声で言ってしまった。そのお骨を見て、インプラントは焼いても残るのか!と変な発見をしてしまったのだ。
でもそれは僕が随分と年を重ね、様々なネガティブな感情に大きく揺さぶられなくなったし、鈍くなったからだろうと思う。そして残念だが僕のおばあちゃんなのに、それ程に振り返る思い出がなかったという部分もある。
8.そこには確かに愛があった
正直な話、僕は祖母については宗教狂いで元社長である祖父の遺産を全て使い果たしたトンデモな人という認識だった。だけども親戚の20代の女性はおばあちゃん子だったらしく、終始めっちゃ号泣していた。僕はそれを見て戸惑っていた。そんな感情を抱く親戚がいるという事実が受け入れられなかった。
そして葬儀でホームの方々がお別れの言葉を述べていく 場面でも、みんなガチ泣きしているのだ。そこに映された祖母の写真や動画は、僕がかろうじて覚えている、チャーミングな笑顔の可愛らしい雰囲気を残した優しいおばあちゃんだった。
僕は祖母のことを極端に解釈しすぎていたんではないか。聞きかじった話だけで、人となりを解釈していたのでは無いだろうか。自分で知ることもせず、偏見を持ちすぎていたのではないか。ある一面だけを曲解し、それを全てとしていたのではないだろうか。
親戚での食事会の中でも、祖母の思い出話に花が咲いていた。僕の全く知らない、祖父もいた頃のエピソード、母親としての面、チャーミングで周りから愛された面、孫との思い出などなど。
沢山迷惑もかけたし、困らせたし、でもみんな最後に「でも、まぁ、○○さんだもん、しょうがないよね」って言葉でみんな祖母を受け入れていたのだった。そこには確かに、愛があったように思えた。
9.死んでしまえばそこでおしまい
帰りの車の中で父親が「まぁ諸行無常だなぁ」と呟いた。それは後妻としての苦労、異母兄弟ばかり特別扱いしていた母親に対する確執や悲しさ、宗教狂いで長らく兄弟たちの悩みの種だったこと、それでもたった1人の母親だったこと、そんな事が集約された一言だったんじゃないだろうか。
そして冗談まじりに「俺たちも遊びに来ないとすぐ死ぬんだからな」と言われた。それは冗談であったが、紛れもない真実でもある。気づけばお互いの年齢的に、後者の意味合いが大きくなってしまった。
また会う約束をして、僕は父親に駅まで送ってもらった。
いつか必ず起きる事、それは近しい人の死だ。
それが曖昧なものでは無く、現実的ですぐ身近なものになりつつある。
それがこれからの40代の立ち位置なんだろう。