GloryDazeDays

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タイムマシーンで見た、過ち(あやまち)色の記憶。

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[http://photo credit: Lieven SOETE Kompost ¬ 231394 via photopin (license)]

小学生高学年のとある時、遠足で演劇を見に出かけた。

それは「エルリックコスモスの239時間」というタイトルの劇で、近未来の学園に閉じ込められた少年少女たちとロボット「エルリックコスモス」との交流を描いたものだったように思う。(四半世紀以上前なので、内容に関してはあまり覚えていませんが)

 

僕らはその劇を見た後、しばらくはその興奮や感動が忘れられず、教室でも内容に沿ったキャラクターのマネをして遊んでいた。

そしておそらく、先生達にも多少なり影響があったのだろう。

その年の秋冬頃にあった学芸会では、先生たちのオリジナル脚本による劇を行うことになった。その舞台は「近未来」であり内容は「タイムスリップ」モノであった。

 

劇の大まかなストーリーとしては、主人公の少年少女たち(現代っ子)が2人の博士の作ったタイムマシーンで未来に行ってしまい、色々見た後で何とか現代に戻ってきて、やっぱり今を大切にしようね、というお話。

掃除をせずゴミをポイ捨てしたり、友人とすぐ喧嘩したりするような「チョイ悪」少年少女達が、近未来でシステム化されて心の通わなくなったロボットや人々に触れ、やっぱり大切なのは人と人との心だね、と改心。

最後は現代に戻って来られてよかったね、掃除しようね&仲良くしようね、というストーリーだったと思う。(うる覚えだけれど)

 

で、当時僕の小学校は1学年で4組あり、それぞれの組で同じ劇を計4回(土/日、AM/PM)にわたり公演する予定であった。

そんな中、僕の組でもその劇の準備が始まった。

この劇の特徴に、同じ人物が現代・近未来と演じる場面が2つに分かれている点があった。

2つの場面で同役を二人用意し、入れ替わって演じることで、クラス全員が役をもらえるという仕組みだった。

つまり少年A役があったとして、現代の少年Aと、未来(に来たとき)の少年Aを違う生徒が受け持ち、現代・未来で入れ替わるということだ。

学芸会は親御さんが見に来るわけで、全員に役があった方が親も嬉しいだろうという心配りだったはずだ。

 

先生が印刷した劇の脚本を読むにつれ、この劇で一番オイシイ役は主人公の少年達ではなく、実は「博士役」の2人、それも現代の場面で活躍する博士だという事が分かってきた。

と言うのも、オッチョコチョイでポンコツな博士2人によって、少年達が偶然にも未来へ飛ばされる話しの流れがあった。

その場面の彼ら2人のやり取りが非常にコミカルで笑えて、セリフも多いし白衣姿で一番目立つ役回りだったからだ。

 

今の僕の性格を知る人からは想像しがたいが、当時小学生だった僕はクラスでも結構うるさくて、人を笑わすのが得意な子供だった。

そして当時僕には、「タカセ君」という仲良しがいて、いつも彼の家で遊んだり教室でも話していた。

僕は彼と一緒に、この博士役をやれたら楽しいだろうなと思った。

博士役は一番目立つし笑いも取れて、いつも面白い事を話している僕らなら息はぴったりだ、と感じていた。

そこには完璧に無根拠な自信があったし、二人で仲良く博士を演じるその姿を想像しながら、すでに皆から笑いを取った後の満足げな思いを妄想していた。

台本読みの後、僕は彼に一緒に博士役をやらないか?と話しかけた。

彼も僕の誘いの前から既に乗り気で、博士役をやりたがっていたし、別の友人からも博士役を一緒にやろうと誘われていたのだ(彼は人気があったのだ)。

 

そんな中、僕の組でも配役決めが始まった。

黒板にズラリと書かれた配役に対して、各自がやりたい役に立候補する。

その役の現代・未来どちらを演じるか選ぶことができ、立候補が多い場合は各自がセリフを読んで多数決で決まる。

僕は勿論、博士役でそれも現代の博士役に立候補をした。

そして博士役を望んだ同級生は僕以外にも4人いて、いずれも現代の博士役をやりたがっていた。

つまり、候補者は5人、そして現代・未来の博士役は全部で4人。

明らかにこの中の一人だけが落ちるという事態になってしまったのだ。

 

博士役の立候補者は、僕と「タカセ君」とその友人(僕の友人でもあったY君)、非常に頭の良いクラスの中心的なS君、もう一人はスポーツのできる人気者(N君?)だったかと思う。

この面子を見て僕は怯み、その時点で互角に戦えるのは友人のY君くらいじゃないだろうかと思っていた。

でも彼は太っていて皆にイジラれる事が多いし、キャラも見た目も博士って感じじゃないだろうしな、、、と多数決では僕が勝つのではないだろうかと期待をしていた。

 

主人公の少年たち役も人気があり、立候補者がセリフを各自読み上げて、皆が挙手して多数決で決まっていった。

その辺りから、博士役のセリフ読みを待っていた僕は不安を抱き始めた。

というのも配役の決め方に不平等があったからだ。

先生が黒板に書いた順に配役は決められていったのだが、それは主人公の少年達から始まり、随分と後になってから博士役があった。

そして始めに主人公たちの配役が決まり、それに落ちた人たちは候補者の空いていた役をどんどん奪っていくのだ。

博士役は最後の方に決めるので、空いている役が順に奪われていくのをただただ見ているしかなかった。

今考えればまず皆の第一希望で立候補した配役を決め、それに落ちた人たちが空きの役に立候補して第二希望を争うのが筋だとは思うが、先生も面倒だったのだろう。

矢継ぎ早にいい感じの役は奪われていったのだ。

 

僕は「博士役候補5人の中で、自分だけ一人だけ落ちるんじゃないだろうか。そしてその時にはもう残っている役はゴミみたいなものしかないんじゃないだろうか、、、」その不安と緊張が僕をゆっくり締め上げていった。

実際の僕は人見知りで気が小さい癖に、ようやく慣れてきた教室で調子に乗っていただけの男だったからだ。

 

そんな極限の緊張のなか、博士役のセリフ読みが始まった。

驚くことに、みんな緊張せずにセリフがちゃんと読めていた。

特にクラスの中心的なS君なんて、おじいちゃん博士のように面白い話し方で笑いまで取っているではないか!!

僕はゲロを吐きそうな面持ちで順番を待っていたと思う。

そしてどんな風にセリフを読んだかは覚えていないけれど、シーンと静まった教室でキョドりながらセリフを読み終わったあと「、、、フッ。」っと誰かが鼻で笑った声だけが聞こえた。

 

その後で先生が促し、挙手による多数決を取った。

その結果、僕だけに、誰ひとり手を上げてくれなかった。

40人くらいの生徒がいる教室で、誰ひとりとしてだ。。。

そして当然、僕だけがダントツで落選した。

現代の博士役はS君とN君が順当に決まった。

そして残った僕ら3人で未来の博士役のセリフを読み、再び多数決を決める段階で僕はそれを辞退した。

従って、タカセ君とY君は自動的に「未来の博士役」を手に入れたのだ。

 

僕は壇上から誰とも目を合わせずに机に戻り、突っ伏して全否定された存在を虚しく味わっていた。

その最中も、どんどんと役が埋まっていく。

僕はこの一件で完璧に自信を無くし、誰も選ばずに残っていた少年F(未来)というセリフ一言だけの役をゲットした。

 

それから程なく始まった練習も全く気持ちが入らず、博士役(未来)を演じる友人2人に対しても劣等感で素直に接することが出来なかった。

それまでも放課後にタカセ君の家で遊ぶことが多く、そんなときは彼の弟とも一緒に遊んでいた。

彼は僕らの演劇を楽しみしていると話してくれたけれど、その話題がとてもツラかった。

年下の子供の素直さを否定し、話しを遮ることはなかったけれど、僕は劣等感だらけでそこにはガチで触れて欲しくなかったのだ。

 

僕は練習の日々の中、誰からも挙手をされなかった瞬間のシーンと、あの「、、、フッ。」という鼻笑いを思い返しては、悔しさと絶望を頭の中で再現していた。

「S君もN君も人気者ってだけで選ばれたんだろ~、結局セリフ読むとかいっても、そんなのより普段の人気で決まるもんだよな~」と、ゲロ吐く寸前5秒前のような顔でセリフを読んでいた男は、自分の人気の無さを棚に上げていたのだ。

 

学芸会当日、母親がきれいに作ってくれた衣装を着た僕は、ドラえもんの「のび太」のような格好だった。

それでも、両親は息子の演技を楽しみにしてくれて応援してくれた。

そんな期待と満面の笑顔がチョッピリ胸に痛かった。

 

劇は滞りなく進み、僕は馬鹿みたいな鼻声(アレルギー性慢性鼻炎なのだ)でセリフを言う前にほんの一歩だけ前に出て、

「でも、僕は未来(ここ)より今の時代の方がいいなぁ~」

というだけのチョイ役で終わった。

今思い返しても、相当アホみたいな演技だったと思う。

両手を軽く広げてそんなセリフを言うなんて、リアルな人生でも一度も経験したことが無い!

今思い返すだけでも、ベッドの上でジタバタしてしまう黒歴史だ。。。

そんな僕をよそに、タカセ君もY君も、未来の博士役を意外と上手にこなしていた。

当初は興味が持てなかったけれど、横で見ていると意外にいい役だった。

だけど僕が出来なかったその役を演じている事実や、タカセ君と仲良くしているY君に嫉妬し、僕は素直になれないままだった。

 

せっかく未来にまで行ったのに「掃除をして仲良くしよう」という教訓を刷り込むだけの大掛かりな劇はそうして終わった。

クラスの皆はやり終えた感動で一丸となっていた。

それはただ1人、僕だけを除いて。

僕はどうしても感動できなかったし、博士役達に対して後ろ暗い思いを抱いていた。

それは「現代の博士役」の人気者だけでなく、「未来の博士役」である友人たちに対してもだった。

 

僕はこんな風に、自分は結局選ばれない、成功しないというイメージを抱いたまま大人になって随分たつ。

その不安や劣等感、失望感を避ける事を最優先にしていると感じる時がある。

いざという時に勝負しないで逃げたり、言い訳を初めに繰り出すような人物のままオッサンになってしまった。

 

あの時の事を考えると、全否定され自分が無価値に感じた寂しい気持ちを今でも思い出せる。

僕はそれでも「未来の博士役」を得るためにもう一度セリフを読むべきだったのだろうか。

明らかに勝敗は決まってただろうに、仲良し3人組の僕らで2人分の役を奪い合えばよかったのだろうか。

そしてまた、誰からも挙手されないという惨めさを味わうべきだったのだろうか。

そんなことをしたら、僕は彼らと修復しがたい仲になっていたんではないだろうか。。。

 

その後しばらく僕は、タカセ君ともY君ともよそよそしく、遊びもせず、あまり仲が良くない状態にあった。

理由は分かっていたけれど、その葛藤をどう消化したらいいかは分からなかった。

そんな時、タカセ君が休み時間に僕を連れ出してくれた。

何階か下の階には彼の弟の教室があった。

その階の廊下には一面、生徒の絵が張られていた。「楽しかったこと」として彼の弟が書いたのは、博士2人と少年1人だった。

「これ俺達とマッチャン(当時の僕のあだ名)だってさ」

それを見て、驚きと嬉しさが溢れてきた。

あんなチョイ役で、アホみたいな声と演技で一言セリフを言っただけだったのに、弟の目にはあの場面が一番のハイライトだったのだ。

彼のお兄ちゃんとその友達が演じた劇として、彼の目には「楽しかったこと」として映っていたのだった。

だからと言って、そのチョイ役のアホ演技やそれに至るまでの失望が消えた訳でもない。

でも親以外にもちゃんと見てくれた人がいるんだなぁと嬉しかったのは事実だ。

 

そんな僕は今、大学を卒業して、あまり望んでいない会社で、何となく仕事をしている。

勿論頑張るときもあるけれど、今の現状にモヤモヤしながら「ここじゃないんだよなぁ~」と過ごしている。

そして急にやる気をだしたり、時たまふて腐れたり、サボッたりしながら、一応ずっとこの会社に所属しているままだ。

あの頃の少年F(未来)はそのまま、オッサンF(現代)に成長してしまったという訳だ。

 

もしあの頃の少年F(未来)が今の僕を見たら、あのダサい演技でたった一言セリフを言うだろう。

「でも、僕は未来(ここ)より今の時代の方がいいなぁ~」

ほんの一歩だけ前に出て、小さく両手を広げながら。