[http://photo credit: La caverne aux trésors Serene pilot via photopin (license)]
つい最近のこと、仕事で何度か同じ客先の工場へ出張した。
予想以上に巨大な工場で、敷地内に製造から製品まで一貫して手がけているラインがある工場だった。
いわゆる部品製造系の工場で、広い敷地内には通用門があり、その後は幾つかのエリアに分かれた棟がドン!と並んでいる。
移動のための工場内スクーターのようなものもあり、ゴミ捨て場だけでもいちいち大きかった。
超大手の工場のように一切ゴミが無く、全て管理されている訳ではなく、結構雑多でルーズな印象もあった。
作業着もみんな結構汚れていたし、仕事の合間(サボり?)に和気藹々と作業者同士で会話もしていた。
大手だけどピリピリ気を張らずに済むような、出世コースから外れてもマイペースに所属できるような、そんな印象があった。
大きな棟から棟までの道の横には、品質基準から外れた製品がゴミとしてプールサイズのゴミ箱に山のように積まれていた。
その他何もかも規模が大きくて、予想外のすんごい工場に来たことに衝撃を受けていた。
風呂桶ほどもある(数十トン)金属の固まりでプラ製の型を成型し、プラのバリを取り、表面を塗装して製品をはめ込むベースを製造する。
それら一連をマシンが全自動で行っているのを観ていると、そこが近未来のような感じもするけれど、実際工場内は結構汚くてレトロな感じもする。
映画「ブレードランナー」に出てくる雑多な街と人ごみのような雰囲気の、たまに来るなら刺激的な場所だった。
僕はこの工場内に居ながら常に感じる、強いケミカル臭や人々の作業内容をみて、大手企業で職場の雰囲気も良さ気だけれどココでずっと働くのは無理だろうなと思った。
そして就活中に大学で言われた言葉をかみ締めた。
僕は当時、就職活動の中で、採用面接で落ちてばかりだった。
今なら分かるが、本当はその会社でやりたいことの無い人間が、雇用側に訴えかけるものが少なかったのだろう。
だって仕事がしたいんじゃなく、大手企業に入って安定した手当ての中で、自分のステイタスを満たしたかっただけだから。
履歴書のスペックで、一応の所まではいく。
ロジカルな部分で対応すればクリアできる、1次2次面接までは通る。
でも最終面接・役員面接で毎回落ちていた。
厳しい人だと面と向かって
「何がやりたくてウチ来ようとしてんのかサッパリなんだよね~」
とか言われたものだ。
でも当時はなぜ最後で落ちてしまうのか分からず、次々と決まる周囲を見ながら焦っていた。
そこで大学の就職相談室に行き、履歴書の書き方や面接内容についてアドバイスを受けたのだった。
僕の担当をしてくれたベテランの相談員はあまり良い印象では無かった。
50代半ばの白髪交じりの初老で、全てを諦めた人の目をしていた。
若者の相談なんてしてる場合じゃないよ、といった風情で、挨拶にも無反応だった。
彼は一通り履歴書を見て、うーん、、、と唸って一言。
「理系の会社(希望)ね、、、そういうトコって結構、お前みたいにアトピーが酷いと嫌がるんだよなぁ!」
僕は結構驚いた。
いや、かなりショックを受けたはずだ。
こんなこと真っ向から平気で言っちゃう人いるんだ、と。
僕は返す言葉が見つからず、暫くうろたえていたと思う。
それに気づいた彼は、
「いや、、まあ、、、顔はいい顔してんじゃねぇか、、。」
と、取って付けたようなフォローをした。
その後、彼と何を会話したかは覚えていない。
ただそれが本当に本当にショックで、アイツ人として大丈夫なのか?さすがうちの大学(三流)だなーなんて事を考えながら帰ったように思う。
でも仮定として、僕が大手企業だからという理由でこの会社選び勤めていたら、今よりも体調を崩していたかも知れない。
今よりももっとアトピーや喘息が酷く、毎日ずっと調子が悪かったかも知れない。
事実、この工場よりも清潔な今の会社でも肌の弱さやアレルギー体質が裏目に出ている。
ゴム手をつけて作業するとその後数日間手荒れが酷かったり、ストレスフルになるとアトピーや喘息が酷くなる。
中国出張では中国の空気(黄砂や排ガス)が合わないのか、帰国後1週間は喘息気味になることがある。
自分には向いていない労働環境なんだろうな、とは何となくは思いつつも、辞めずに続けてきてしまった。
ただ社内にはどんな時も全く体調を崩さず、有給も消化せず、鉄のフィジカル・メンタルを持つ男も多く存在し、彼らみたいなのが会社が求める人材なのだろうとは感じていた。
僕は今の今まで、ずっと彼はクソみたいな男だから平気であんな事を言ったんだと思っていた。
気力も未来も無いくたびれた男が、若さと可能性だけは確実に持っていた大学生の就活なんてどうでもよかったのだろうと思っていた。
でも彼は、ちゃんと芯を突いた意見を述べていたのだ。
今なら分かるが、アトピー体質の男は確かに工場作業には向かない。
させる仕事に制限が出来たり、させるにも大掛かりな保護をする必要があったりしまうからだ。
無駄なコストも掛かるし、だからといってそういう状況を無視して作業させることは、今の時代パワハラにもなりかねない。
そして残念ながらそういった人は、他にも多くのアレルギーを持つ傾向が強く(実際僕も喘息もちだ)、気候・季節の変わり目・環境・その他ストレスによる体調不良が発生する確率が高いように感じる。
海外出張でも、食べ物、土地の空気、匂い、海外に行くこと自体のストレスでやられる人もいる。
業種的に忙しさの波があり、夜勤や残業で遅く帰宅して夕食もコンビニ飯など雑になると身体を壊しやすい。
そういった人よりは、どこへ行っても頑丈でやり通せる人物を企業も求めるだろう。
そこまでを踏まえて就職相談の彼は言ったのかは不明だが、でも彼の意見は間違ってはいなかった。
ただもっと、ソフトに優しく言って欲しかった。
当時の僕はその言葉に酷く傷つき、悲しかったのだろう。
僕は何故、十数年もの間この事をこんなに鮮明に覚えているのだろうと思っていた。
それはやはり、あの当時よっぽど僕はアトピーで悩んでいたからだと思うのだ。
とあるサークルに入りたかったが、合宿で温泉や海に行くという話しがあって諦めたことがあった。
Tシャツ一枚をさらっと着たり、露出多めのファッションが楽しめなかったのもそうだ。
クラスやバイト先で友達・彼女を積極的に作れなかったこともそうだろう。
バイトが清掃員、警備員、調理補助など裏方ばかりだったのも、人に注目されたくなかったからだ。
積極的に学科の人間と絡めなかったこと、大学が好きになれなかったこと、学内で友達が殆ど出来なかったのも、何となく自分に引け目を感じていたからだ。
バンドもしたかったし、女の子にもモテたかった、流行のおしゃれをして、調子乗った髪型で適当に授業を受けるキャンパスライフを肌で感じたかった。
それらが出来なかったほどに、僕はずっとアトピー体質をコンプレックスとして持ち続けていたんだろう。
親との仲だったりと、それ以外にも当時が楽しめなかった理由はあるけれど。
でもそれによって得たものもあるのも今では分かる。
自由な時間に本や音楽、サブカル、映画などへの興味は広がった。
1人行動が更に好きになり、思慮深くなったと思う。
大学以外に場を求め、当時マイナーだったネットを通じて様々な年齢・経歴の人たちと知り合うことが出来た。
経験したこと、やりたかったけれど出来なかったこと、嫉妬して否定していたこと。
様々な要因で今の自分が出来ていると、しみじみと思う。
そして10数年後になって今を振り返ると、どんな風に映っているのだろうか。
そんなことを最近考えた。