GloryDazeDays

日々のワクワクを受信・発信したい。ぼんやりとした日常を楽しく前進していきたい。

嫉妬の咀嚼と消化、吸収と排泄。

f:id:glorydaze:20190730110806j:plain

[http://photo credit: NRK P3 Envy - Urørtscenen By:Larm 2011 via photopin (license):title]

長い梅雨の続く寒い7月に、後輩と西日本の方へ出張した。

僕と彼は元々同じ課に在籍しており、数年前に僕が別の部署に移ったので久々に一緒の仕事に携わった感じだった。

彼はソフトウェア担当、僕はメカ担当で、客先で協力しながら作業を進めていった。

仕事は順調に進み、数日で特に問題なく完了した。

 

その間、いや僕はこの出張が決まってから、ずっとモヤモヤした気持ちを抱いていた。

考えないよう誤魔化していたけれど、その気持ちは明らかに「嫉妬」だった。

存在感、信頼度、雰囲気。

事実、現場でも彼は客先から大きな信頼を得ていた。

以前、僕が5年以上前に仕事をしていたお客さんたちは殆ど僕を忘れており、彼と今後のプランを相談するのに一生懸命だった。

そして器用にコミュニケーションを取りながら笑いを交えつつ仕事をしている彼に対し、僕の通用する武器は無いようにも思えた。

 

連日晩飯後、狭いホテルの部屋で軽く一人飲んでいた。

僕は現状の立場を振り返っていた。

不完全燃焼さ、諦念に似た思い、何に対しても盛り上がれない自分自身への葛藤をツマミにしていた。

あー、これは完全なる嫉妬だ。

それも昨日今日の仕事っぷりに対するものじゃない。

これは随分前からの嫉妬だったんだなぁと分かった。

 

それは10年以上前になる。

僕はその頃携わっていたプロジェクトのトラブルで、中国を始めとするアジア圏に出張ばかり行っていた。

僕の仕事は外注のソフト会社との橋渡し役で、会議で決まった仕様をまとめ、外部の会社にソフトを作ってもらい、それを僕が実機を用いて動作の確認をする仕事だった。

当時、とある装置の異常動作が連発し、明らかにソフトが一因だと思われた。

しかし会社対同士のにらみ合いがあり、ソフト担当者を海外に出してくれなかった。
(100%不手際だと明確になるまでは落ち度を認めず、出張にも出さないという会社だった)

そのため僕は、海外からその担当者と電話・メールを使って一人奮闘していた。

変更のプログラムをメールで受け取り、それをインストールして、また動作の確認。

問題があればログデータを送り、動作の問題点を電話で伝えた。

その繰り返しは、国際電話、ホテルでしか出来ないメールのやり取りに加え、日本との時差が足を引っ張り、遅々として進まなかった。

そして2週間ほどして、日本に帰る。

その後1週間ほど社内で準備や用意をして、再び中国へ。

そんな非効率な仕事のやり方に疑問を抱いた僕は、国外から電話で課長にお願いをした。

ソフト会社と手を切り、社内にソフト担当部門を作りましょう。

社内のソフト担当者と現地に出張に行くのが、最も効率的であり、生産的だと感じていた。

僕はそれが絶対正しいと思っていた。

帰国後社内で、 2人になれるタイミングを見計らって当時の部長にも直談判していた。

そんな急な話しを聞いてくれる部長で、頼もしかった。

今思うと僕は当時、かなり大変で辛いポジションにいたものの、僕だけしか出来ない立場を任された責任感と会社での注目や同情や期待感に酔いしれていたのかもしれない。

ある意味マゾ的な、疲弊・消耗することを前提としてでも満たしたい承認欲求があったのだろう。

 

そんな折、帰国すると中途採用の彼が席についていた。

僕が直談判したから彼が選ばれたのか、と感じた。

5歳以上若く背は小さいものの、スポーツで鍛えた無駄のない身体と、活発で自信家特有のまっすぐに向けた眼差しが、出張続きで疲れ気味の僕にはしんどかった。

若さも相まって彼は輝いて見えたけれど、僕は人見知りを利用して素直に認めることができなかった。

彼が来てからは、社内でソフト担当の人物がいるという強みが如実になった。

その後の新規案件は、これまでの不具合の対策をし、さらに僕が着想していた機能を自由に盛り込むことが出来た。

前回のプロジェクトとは正反対に、初めから高評価を得たその案件は、後日社長賞を取り、今でもそれをベースとしていくつもの案件が進んでいる。

 

僕は自分が作り上げたこの成果に対して、褒められ評価されると思っていた(と今では分かる)。

でも現実は、新たな彼のお陰で大ピンチの状態からV字回復したという評価だった。

僕はその頃から、もっと言えば彼が入ってきた時から嫉妬していたのだろう。

なぜなら、僕が勝ち得るはずの評価は、全て彼が手にしたからだった。

僕の担当していた、外注のソフト会社との橋渡しという立場は不要になった。

帰国するたびに周りから励まされ、期待されていた頑張っている新人というポジションは彼に変わった。

僕が上司たちに直談判した事が今の状況を作ったのに、何も感謝されないという不満があった。

僕が現地で見つけたバグの対策を盛り込み、客先の要望を盛り込んで便利な新規機能をいくつも追加したのに、全て彼の成果になっていた。

そして新人から中堅に近づいた僕のことはすっかり忘れられていた。

 

今思えば僕は、単にもっと褒めて欲しかったのだと思う。

プライベートの予定も無視され、現地でずっと頑張っていたことに対して、感謝して欲しかった。

プロジェクトの問題なのに、一人で解決できずに帰ってくる僕だけが悪者になっていた事を謝罪して欲しかった。

そして明確にボーナスという形での評価も欲しかったのだと思う。

でも何も得ることが出来なかった。

僕が絶対に正しいと思って取った行動は、僕の立場を脅かし、僕をメインステージの端っこに追いやってしまった。

その現状に拗ねていたのだろう。

傷つき、悲しかったのだろう。

僕はそのプロジェクトが終わり、入社して6、7年目ともなるとすっかりやる気をなくしてしまっていた。

対照的に彼はソフト担当のメインとなり、うちの会社で無くてはならない人物に育っていた。

その輝きを見るたび、あの時まだやる気のあった自分を思い出すのだ。

輝ききれなかった自分の姿を見るのだろう。

お前の評価は俺のお陰だ、俺だってあのポジションのままなら、自分だけの得意分野を持っていれば、、、。

それが、モヤモヤの原因だったんだと気づいた。

何かあの時辛かったよな、相談できる友達もいなかったし、彼女もいなかったし。

親とも仲悪かったから、逃げ場もなかったし。

まあでもそんな感じにしてはよくやっていたよ、と思えるような現状がある。

息巻き、被害者でもなく、自己中心的にならず、一歩引いて過去の自分を俯瞰で見ることができるようになった。

そしてそれが分かると、何となくだけれど、嫉妬が消えるような、弱まるような感じがした。

 

 

そんな僕が思うことは、

・どんなに頑張っても結果で評価されるということ。

でもそれは過程や努力がその基礎になるという事だ。

僕は当時がむしゃらだったけれど、努力や工夫が間違っていたから問題を解決できなかったってのが分かっていなかった。

頑張っていたけれど、自分の力では何も解決できなかったのだから、評価されるはずはなかった。

・自分一人で頑張っていたと思っても、さまざまな人のお陰でその仕事が回っていること

僕は当時全部自分だけでやったことだと思っていた。

でも幾度となく先輩や上司にアドバイスをもらい、そのアイディアを試していた。

全くもって、僕が全部一人でやったことなどなかった。

・時代は変わり、新人は中堅になるにつれ興味や期待をされなくなること。

新人時代は目立つし可愛がってもらえる。

成功したら褒められるし、失敗してもフォローして慰めてもらえる。

中堅になれば、ちゃんと出来て当たり前の存在で、特に気に留められない。

新人の頃に得た注目や承認をいつまでも引きずっていても、誰も何もくれない。

・現在の自分に何ができるか?最適解は?と模索し続けなければ、取り残されていくこと。

僕はあの頃のまま、そこから自分を変えようとしていないのかもな、と思う。

元々大した成果もないのに、その利息だけで食っていこうとしている自分を感じた。

それじゃ仕事もつまらないし、成長もないよなぁと思う。

 

これからどうすべきなのかなと、自分に対してちょっと前を向けた出張だった。

新幹線と電車を乗り継ぎ、最寄り駅に帰ってくると夜も23時を過ぎていた。

寒かった梅雨が開けはじめており、湿度のある夏の夜の匂いがした。

季節が変わっていく。