GloryDazeDays

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秋葉原の駅前にあった『ラーメンいすず』と僕のグッド・オールド・デイズ。

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[http://photo credit: Imahinasyon Photography Akihabara Japan via photopin (license)]

 

それは昔、秋葉原がまだ電気街と呼ばれていた頃のこと。

それは実に、1990年代、25年くらい前の話だ。

当然身近にパソコンもインターネットも無い時代、新しいゲーム、CDコンポやパソコンを見たくて、よく秋葉原まで足を伸ばしていた。

あの頃の僕ら小学生は、立ち読みの雑誌か友達の兄ちゃんからしか最新情報を得る手段がなかったのだ。

読んだ記事や聞いた話の記憶を頼りに、学校終わりや休日に秋葉原までダッシュしていた。

そこで実物に触れて感動し、テンションが上がるって感じの日々を過ごしていた。

テンションだけ無駄に上がったのち、勿論お金もなくて何も買えないので、いつもそのまま家に帰ったものだ。


午前中で学校が終わる日は、家にカバンを置いてそのまま秋葉原へ向かうと(うちから電車で15分程度だった)、人も疎らで僕はその全部を独り占めすることができた。

そんな時、何故だかどのお店にもオタクな大学生のお兄さんが居て、初心者の僕に分かりやすく色んな事を教えてくれた。

彼らは古き良きオタクって人たちだったのだけど、とても親切で気のいい兄貴って感じだった。

穏やかでフレンドリー、でもどこでそんな情報を仕入れたの?って不思議さがあり、自然と尊敬の念を抱いていた。

僕が理系の人や職業というものに憧れたのは、ああいった人たちの影響もあると思う。

  

一通り見た後、いつも夕方頃帰る時に混んでいたのが、駅前にあったラーメン屋の『ラーメンいすず』だった。

そこは「しょうゆラーメン」と「しょうゆラーメン(大)」というシンプルなメニューなのに、いつも店先には10人ほどの列が出来ていたのだ。

水曜日は確か50円引きか100円引きで、さらに混雑していたって記憶がある。

その近くを通って駅へ入るたび、美味しそうな匂いと麺を茹でる鍋のモワモワとした湯気に包まれるのだ。

数年後、高校生になってバイトも始めてからは、そこでよくラーメンを食べるようになった。

店長と若い弟子の二人で切り盛りしていたその店は、並ぶ列の先頭付近になると、ぶっきらぼうな店長から「そちらは?」みたいな事を聞かれた。

それはメニューの「普通」か「大盛り」かを聞いているのだけれど、もちろん初めは良くわからずに戸惑ってしまった。

そう言った暗黙のルールにも動揺することなく、券を見せつつ「普通!」などと言えるようになってくると、自分もこの店の常連のような気持ちになって悪くはなかった。

あの頃はまだ秋葉原駅も汚く雑多で、街全体が垢抜けていなくて。

なのにどこよりもハイテクで、矛盾と無限を感じる素晴らしい街だったと思う。

 
でもいつしか、他の女に浮気するように僕の興味は拡散し、しばらく足も伸ばさなくなっていった。

大学生になり久々に秋葉原へ行くと『ラーメンいすず』はもう無くなっていた。

丁度駅前が再開発される少し前で、まだ駅を出て目の前にはバスケットコート広がっていた頃の事だ。

失ってから大切だった事に気づくのは今も昔も変わらない。

もうあのラーメンは食べることができないのだ。

いい意味で超普通で、しょうゆの色と味が濃くて、メンマが大量で、小口切りとは言い難いような太いネギで。

食べ応えのある分厚いメンマを噛みしめながら麺をすすっていると、スープの熱で徐々に太いネギに火が通るのが好きだった。

寒い日にあの生姜風味のある醤油スープを飲むと本当に身体に染み渡り、なんとも言えない安心感と幸福感があった。

それは気立てのいい一途な田舎女のような、僕にとってはそんな愛すべき店だったのだ。

秋葉原の帰り、今日は晩飯を家でちゃんと食うぞと決意しても、何故だか毎回食べたくなって、結局ハフハフと麺をすすっていた。

カウンターのサラリーマン達を眺めながら、僕も大人になったらこうしてスーツで帰りにラーメンを食うのだろな、と思ったものだ。


今でも寒い日に外でしょうゆラーメンを食べると、いつもそんな事を思い出す。

そんな懐かしの思い出は、ラーメンの湯気と白い息と共に夜空に消えていくのだった。

おしまい。

 

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色んな人がコラムを書いていますね。
やっぱりみんなあそこが好きだったんだなぁ笑

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