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音楽室の扉を開けるといつもお酒の匂いがした。
それは僕だけではなく、同級生もみんなそう感じていた。
「うわ、今日も酒くせー」と、みんな聞こえるように口々に話していた。
当の本人はそんな事を気にするでもなく、いつも通り音楽の授業を始めた。
彼はY先生と言って、僕が小学校の頃の音楽の先生だった。
南の方出身なのか、縄文人のような濃い顔立ちで、色は黒くずんぐりとした、ゴリラっぽい感じの先生だった。
小さい頃は大人の年齢ってよく分からないもので、おそらく父親と同じくらという話だったから30代後半くらいだったと思う。
全体的にずんぐりとしており、手も大きく、指も太かった。
先生としては浮いてる感じを醸し出しており、職員室ではなくていつも音楽室に1人でいた。
彼は、女子にだけ優しい先生だった。
授業でリコーダーと呼ばれる縦笛をみんなで習っていて、1人ずつ決まったパートを吹けるかのテストがあった。
僕は「スタッカート」という技法が全くできず、毎回説明されても意味不明だったので、評価はいつも悪かった。
テストの時は生徒が1列に並んで、自分の番が来るまで吹かずに指だけで練習をしていた。
そんなおり、前に並んでいる女子に邪魔をしたりちょっかいを出す奴が居た。
たまには僕も女子の邪魔をしたりして、そんな時は先生に結構な力で殴られた事を覚えている。
大人のガチな力のゲンコツで相当痛かったのを覚えている。
「女子には優しくしろ!」と怒られたものだ。
そして先生はリコーダーの判定に関しても、女子には甘かった。
彼は、先生らしくない人だった。
1988年のこと、ソウルオリンピックが開催された。
現在タレントでも活躍している、池谷選手が体操でメダルを取っていた頃の話だ。
その日は音楽の授業なのに、授業そっちのけでテレビを見せてくれたりなんかした。
試合中継だったのか、ワイドショーだったのか定かではないけれど。
授業をやらずにテレビを見せてくれるなんて、なんていい先生なんだ!と思ったものだ。
音楽の授業で音楽室に行くたび、日増しに酒臭さが強まっていた。
全員がはっきりそう感じていたから、それは尋常じゃない事態だったろう。
今思えば、教室で飲んでたんじゃないか?とすら思える程だった。
それでも一応、音楽の授業は続けられていた。
ある日の晩御飯の時に、父親にY先生について話したことがあった。
今度その先生と一緒に飲みたいから、そう伝えてくれないか?と言われた。
僕は先生にその事を伝えたけれど、一笑に付されたのを覚えている。
ある時の授業が終わりかけた頃、余った時間でピアノを弾いてくれた。
それがなんの曲かは分からなかったし、今でも何だったのか分からない。
あの太くて巨大な指から、あんなに繊細な音色を奏でることができるのかと、本当に驚いたのを覚えている。
ピアノを聴いてあんなに感動したのはあれが初めてだった。
身体を前傾にしながら弾く姿は、今でも僕のピアノ奏者のイメージとなっている。
自宅で亡くなっていたという噂が親同士から伝わったのは、それから少し後だった。
連休明けだったか、長期休み明けだったかの時だったと思う。
連絡が無いのに欠勤していたのを不審がった先生たちが見に行って発見したらしい。
テレビをつけたまま自宅のソファで座りながら亡くなっていたらしい。
僕は周りの同級生同様に、人の死について分かる程に大人ではなかった。
何だかわからないけれど、大人たちが騒いでいることや、もうY先生がいないという事に対して、無邪気に盛り上がっていた。
親や先生や友人に聞いてだんだんと分かってきたのはこういうことだ。
先生には以前、愛する奥さんが居たらしい。
その女性は別に男を作り、彼の元から去っていったらしい。
それからというもの、先生は寂しさを紛らわすためにずっとお酒を飲んでいたらしい。
小学生でも異常と思えるほどの酒臭い教室だったのだから、余程のことだったんだろう。
そして1人で亡くなってしまった。
とても悲しい救いようのない話だ。
だけど今、きっとY先生とあまり変わらない年齢になると、何となくわかる気がする。
僕も逃げるように酒を飲んでしまう時がある。
その度に、こんな感じで色々考えながら飲んでいたんだろうなと思う。
そして彼は運悪く(かどうか不明だが)亡くなってしまったんだろうと。
僕はまだ生きているし、一応助けを求められそうな友人もいる。
でもひょっとすると、このままどうなるのだろうかと、そう思う時もある。
生きる意味とか、死ぬ事に対して、年齢とともにどんどん曖昧になっていく。
きっと大したことのない未来が見えてくるからだろう。
今から必死で頑張って、何を得られるというんだ。
そんな問いが心の奥底から湧き上がる時もある。
街ゆく幸せそうな人を見て、途方に暮れてしまう時もある。
僕は今になって、父親が伝えて欲しいと言った意味がわかる気がする。
一度くらいお酒を酌み交わしたかった。
そしてあのピアノの音色を、今こそもう一度、聞いてみたかった。