GloryDazeDays

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【雑記】オンリー・ア・マター・オブ・タイム

But if faith is the answer ...

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[http://photo credit: Sam [Stranger 110 / 200] Carnaby Street, London via photopin (license)]

 

飛行機が加速し離陸する前、シートに身体全体が押し付けられる十数秒の間が好きだ。
血液が一箇所に留まり、爆発する瞬間を待っているかのようだ。
大学院の時、ドイツへ向かう機内で隣に座る先輩が彼の時計を見せつけながら言った。
そのブランドは何か不明だったが、確か機械式時計だったはずだ。

「いつもこの離陸の瞬間だけ、ほんの少しだけ針の動きが遅くなるんだ」

と、いつものキメ顔でニヤリとしながら言っていた。
飛行機はぐんぐんと加速し、離陸した。
これからの数日間に対する期待と不安を胸にして。

 

僕はその後、仕事で何度も飛行機に乗ることになる。
そのたびに、加速して離陸するまでの間に時計を見るようにしているけれど、どうもそんな風には思えない。
大抵は加速して15秒くらいで離陸する。
たったそれだけだ。
僕の時計が高級で正確なのか、ただのつまらない男になってしまったのか。

 

彼に初めて会ったのは、大学4年になる少し前の3月だった。
僕が入る研究室が決まり、友人と一緒に挨拶がてら顔を出した。
その時に「あー、やっちまった」と思った。
彼の着ているジャージ風の上着が僕の家にも有ったからだ。
これはもう着ていけないなぁ、と思ったものだ。
ユニクロの地味な色で腕の脇に茶色の縦ラインが入っていたヤツだ(こう書くと超ださい)。
もちろん大学内にはきっと彼と僕以外にも持っている人も居ただろうけど。
でも同じ部屋に同じ上着が2人居る構図を想像するのは何とも恥ずかしかったのだ。

 

紹介されたのは非常に汚い研究室だった。
一言で言えば、足の踏み場もないくらいのゴミ屋敷。
何か色々と装置の説明を受けたと思うけど、あまり覚えてはいない。
そして昼になり、その先輩と食堂で昼飯を食べた。
お互いが「Dream Theater」と言うアメリカのバンドが大好きだという事がわかり、一瞬にして意気投合した。
僕は大学でサークルに所属していなかったし、友人も少なかった。
大学内で飯を食べたりダラダラ話ができる友人は大学3年までには数人だけになっていた。
最も仲の良かった奴は単位不足で4年に上がれず、研究室が同じになることもなかった。
だからその時に感じた先輩への共感は非常に嬉しいものだった。
小さい頃から、兄貴が欲しいと思っていた長男だったので、彼の存在はそれに近かったのだと思う。

 

彼は大学院修士課程の2年だった。
その後、彼は博士課程に進むことを決めていた。
大抵、大学院は修士課程が2年でその後博士課程に進む場合は3年程度だ。
僕の大学はそんなに難易度の高い大学ではなかった。
しかし博士課程となればは博士論文が教授たちに認められないと修了できない。
大抵は学部で4年間を過ごし、モラトリアムな意識も含めて修士課程に進む人間が多少居る。
しかし博士課程まで進むとなると殆どいない。
何でそんな事をするのか、理解できなかった。
東大、京大、国立や私大の有名大学なら別だ。
ぶっちゃけ大したことのないこの大学で、なぜそこまで頑張れるのか全く意味不明だった。
「よくそんな事が出来ますね」と驚きを含めて話した事がある。
彼はニヤリとしながら言った。

「出来る出来ないじゃなくて、やるかやらないかなんだよね」

そしてもう一言。

「やらない後悔よりも、やって後悔した方がいいじゃん」

そしてそのキメ顔でニヤリとした。

「まぁ今のセリフ、全部誰かの受け売りなんだけどな」

そう言うとタバコに付き合わされた。
喘息持ちで、タバコに興味のなかった僕には結構厳しい付き合いだった。

「オマエ知ってるか?タバコ吸った後に甘い缶コーヒー飲むと、口臭がウンコの匂いになるんだぞ!」

そんなどうでもいい事も教えてもらった。
それから僕は就職した後も缶コーヒー片手にタバコを吸う人を見るたび、彼らの口臭を危惧するようになったのだ。

 

部活やサークルにも殆ど無縁だった僕にとって、お世話になった先輩といえばあんまり居ない。
そう思うと彼には非常にお世話になったと思っているのだけれど、思い出すのはこんなアホみたいなエピソードばかりだ。
様々な事柄や人たちの影響によって、自分の人生は意図しない方向へ進んでいくものだ。
その一つの大きな影響を与えてくれた人ととして、ふと思い出しては彼に感謝することがある。
僕は彼に良くしてもらい、可愛がられた事もあって、僕も大学院へ進んだ。
特に研究がしたいという熱い想いはなかったのだけれど。
就職したくないとか、働くとして何を仕事にすればいいのだ?とか、新卒の就職率が悪い不況の時期だとか、母親に期待されたとか、色々と理由はある。
でも彼に勧められたってのも一つ大きな理由だ。

 

今の状況や体調を伝えにくいものもある。
なぜなら彼は今や立派な大学の先生になっているのだ。
何かスゲー差ができちゃったなぁと、落ちこぼれな気持ちになる。
しかも僕の同級生は大手に進んでる人ばかりだし。

 

でもあの10年以上前のアホな研究室時代は決して無駄じゃなかったと思う。
先生の買い置きしていたお菓子をこっそりみんなで食べたり。
体育館に忍び込んでシャワー浴びて研究室に泊まったり。
陸上コートの横に長芋が埋まっているらしいという噂を聞いて掘って食ったり。
適当に使ったスライダックから火が吹いたり、火災報知器を避けるためドラフトの中で料理したり。
あれこそが、僕の遅めに訪れた青春時代の幕開けだったのだろう。

 

... we're already Reached it

そして飛行機は着陸した。
僕は今から十数年前、確かにドイツのブレーメンに居た。
2004年のことだ。
ユーロ2004というサッカーの大会が開催されており、ヨーロッパ中がサッカー一色だったのを覚えている。
マクドナルドでは「キックマック」というサッカーを絡めたセットが販売されていた。
味は普通で値段は日本円で700円くらいだった。
ヨーロッパは総じて日本より食べ物の物価が高かったと思う。

 

ドイツで自分の発表を終えてからは、楽しい数日間の思い出しかない。
ヨーロッパは1つの大陸に多数の国家があるため、列車で国々を渡ることができるのだ。
ユーロ版青春18切符のような「ユーレイルパス」を購入し、その後数日間で数カ国を周った。
ヨーロッパは同じ時期でも土地によって気温や日の出日の入りまでも異なった顔をみせる。
ドイツは程よい気温であり、白夜の為21時くらいまで明るかったため過ごしやすかった。
対して、次に訪れたスイスは日中も非常に寒く、困っていた時に彼が服を借してくれた。
それは紛れもなく、僕の実家にも有ったユニクロのジャージ風の上着だったのだ。
あの絶妙にダサい、茶色の縦ラインの入ったやつだった。
タバコもコーヒーも飲む彼の上着の匂いを危惧したけれど、意外にもふんわりとした柔軟剤の匂いがしていた。
マッターホルンの山頂で、4人で組体操みたいにふざけ合って記念撮影をした。
そのジャージを着て撮った写真を見るたびに、ダセー格好で調子こいてるなぁと思う。
でも男は調子こいてるくらいがいいんじゃないだろうか。
見た目や格好はいい方に越したことはないけれども。

 

そこからもう十数年経過した。
時代は驚くほど変わった。
僕の中の価値観も正しさも。
僕の彼女も数人変わった。
そして今、感動も躍動もしない、ダサい男になってしまった。
今の自分の本当のダサさを知ったら、あの時の自分はきっとがっかりするだろうな。
あのジャージ風の上着は、実家にまだ残っているのだろうか。